龍村光峯の葬儀告別式はいつで喪主は?嫁や子供と学歴と経歴・作品も

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こんにちは!

はじっこ通信をご閲覧いただき、ありがとうございます!

織物美術家、龍村光峯(たつむら・こうほう)氏が5日午後1時56分、肺炎のため京都市左京区の病院で死去しました。

龍村氏は、二代目龍村平蔵氏の三男で1976年に龍村平蔵織物美術研究所を設立。

染めた絹糸で紋をつくり、手旗で仕上げる伝統的な錦織を追及した方です。

伝統技術の保存や職人の育成にも尽力した方でした。

今回は、龍村光峯の葬儀告別式はいつで喪主は?嫁や子供と学歴と経歴・作品も

と題しまして、龍村氏の葬儀告別式はいつか、喪主は?嫁や子供、学歴や経歴、作品についても迫ってみたいと思います。

ご参考になれば幸いです。

それでは早速、本題に行ってみましょう!

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まずはニュースの概要をご覧ください。

先染紋織物(さきぞめもんおりもの)の「錦織(にしきおり)」の第一人者で、伝統技術の保存継承に尽くした織物美術家、龍村光峯(たつむら・こうほう、本名・龍村順)氏が5日午後1時56分、肺炎のため京都市左京区の病院で死去した。73歳。兵庫県宝塚市生まれ。自宅は京都市北区紫竹下ノ岸町25。葬儀・告別式は9日午前11時から京都市北区紫野宮西町34、公益社北ブライトホールで。喪主は長男周(あまね)氏。
早稲田大卒。二代目龍村平蔵氏の三男で、1976年に龍村平蔵織物美術研究所(現在は龍村光峯に社名変更)を設立。染めた絹糸で紋を作り、手機(てばた)で仕上げる伝統的な錦織で、つややかで立体的な美しさを追求した。代表作は旧大蔵省三田会議所の「和の集」や京都迎賓館の「暈繝段文(うんげんだんもん)」、東宮御所の「瀬戸のうちうみ」のタペストリーなど。
2011年に一般財団法人・日本伝統織物研究所を立ち上げ、代表理事に就任。奈良、平安時代の生地復元事業などを通じ、伝統技術の保存や職人の育成にも尽力した。

引用元:Yahoo!ニュース

ご自宅は京都市北区紫竹下ノ岸町25

龍村光峯の葬儀告別式はいつで喪主は?

龍村氏の葬儀・告別式は下記のとおりに行われます。

自宅

葬儀・告別式

喪主

京都市北区紫竹下ノ岸町25

3月9日午前11時から京都市北区紫野宮西町34、公益社北ブライトホール

長男周(あまね)氏

嫁や子供と学歴と経歴・作品も

龍村氏のプロフィールです。

名前     龍村光峯(たつむら・こうほう)

本名     龍村順

生年月日   1946年

年齢     73歳

出身地    兵庫県宝塚市

職業     織物美術家

祖父     初代龍村平蔵(号・光波)

父      二代龍村平蔵(号・光翔)

兄      龍村仁(映画監督)

弟      龍村修(龍村ヨガ研究所所長)

大学     早稲田大学

龍村氏は、錦織美術の第一人者で、サンケイホールの緞帳を作ったかたです。

伝承技術の保存育成に尽力した方でもあります。

祖父の初代平蔵は、生涯にわたり古代織物研究復元を続けた人物です。

祖父、父、光峯氏、そして長男の周氏にと、四代にわたって織物の世界に取り組んでいる龍村家ですが、光峯氏の嫁、奥様の情報だけが見つかりませんでした。

光峯氏の作品

機織り機は、少しやっていたことがあります。

裂きおりという手法を習っていました。

これ、結構、全身使う体力勝負の作業なんですよね。

経糸に横糸をくぐらせて、織り上げるのですが、手加減一つで出来上がりが全然違ってきます。

大島紬などは、専門の織子でも、一日かかって10センチくらいしか進まないと聞いたことがあります。

まとめ

今回は、龍村光峯の葬儀告別式はいつで喪主は?嫁や子供と学歴と経歴・作品も

と題しまして、龍村氏の葬儀告別式はいつか、喪主は?嫁や子供、学歴や経歴、作品も紹介しました。

龍村光峯氏のご冥福をお祈りいたします。

それでは今回は、これまでとさせていただきます。

最後までこの記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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